日本が銃社会じゃなくてよかった、きっと今より自殺が増えていただろうから

 

正直言うと良かったような、少し残念なような気分なんだけど。

 

夜ベッドに横になりながら、ベランダを乗り越えて落ちる想像をしたり、刃物がすっと胸元に入り込んで肉と骨の間を進んでいく様子を想像したり。

具体的に死ぬことを考えることは、まあ多いというわけではないけど少ないとも決して言えないって言うくらいの回数、考えたことがある。

 

でも「もし自分が自殺するならどうするか」って考えたことある人は、べつに健康なひとでもあると思うんだ。

列車への飛込み、首つり、服毒、割腹、焼身、溺死、感電死、練炭、失血、凍死。

色々あるけど、結局みんなどれがいいって結論に落ち着くんだろう。

 

本当に余裕がなくなった時には後に残る金銭賠償の問題とか、借家の場合は大家に迷惑がかかるとか、そういうことを考えている余裕なくフラっとやってしまうんだろうけど、まだそういう事後処理を考慮に入れる余裕がある程度の希死念慮の場合には、いろいろと考えてしまって二の足を踏んでしまう。

飛び込みは金銭賠償が問題で、首つりはどこでするかが問題で、服毒服薬は助かる可能性も高いし生き残った時の後遺症が心配で、服毒や焼身はきっと痛くて苦しんだろうなあ死ぬ時まで苦しんで死ぬのは嫌だなあ、とか。

 

要は痛みと、成功可能性と、事後処理が問題。

 

その点で言えば、拳銃自殺と言うのは前ふたつをクリアするし、特に途中で痛みや苦しみで躊躇ったりしないからすごくいい方法だなあと思う。

逆に言うと成功率が高いからこそ、そういう自殺手段が自宅の、人目がなく引きこもっていて鬱思考になりがちな空間に置かれていて、手が伸ばしやすい場合には突発的に頭を打ち抜きたくなってしまう夜に「自殺できてしまう」

 

正直わたしも自宅に銃があれば、自殺に至らないまでも太ももぐらい打ち抜いてるかもしれない。周りの人間には「手入れをしていて暴発した」何て言い訳をして。

 

苦しみから逃れたくて自分の体を傷つける、という行為は、未だに自分でもあまりその根本的な行動原理を理解できてないけれど、

何だろうなあ、苦しくて居てもたってもいられなくて、良く分からない焦燥感のようなものに追い立てられるようで、じっとしていられなくて、快楽のような生ぬるいものでなく、もっとハッとするような弾け飛ぶような意識を塗り替えてくれるような痛みが欲しい、っていう、そういうことなんかを色々とぐるぐる考えた末に自分を傷つけることが多いかもしれない。

 

ちなみに色々と考えた結果、個人的には餓死がいいのではないかと思っている。

気鬱になると食欲がそもそもわいてこなかったりするし。

 でもドアノブもいいなあ