今日もまた乗り遅れる
日本の自殺者の数は一日90人程であると聞いた。
毎日、いつ自分がその中の一人としてカウントされる日が来るのだろうかと考えている。
先日、中学生の女子生徒が二人電車に飛び込んで死んだというニュースを聞いた。
百合だとか、妄想が膨らむとか。その飛び込んだ心情に思いを馳せずその自殺を己の妄想に利用する者もいれば、死ぬことはなかったのにと月並みの言葉を述べる者もいた。
見たのは主にツイッターの呟きとニュースサイトのコメントだけど。
まあ、世間の反応としてはそんなもんだろうなあと思う。
人の自殺、ってこと日本においては近親者以外の人間にとっては迷惑なものとして受け止められていると思うし、なんだろうな、迷惑なものとして受け止められすぎているという気もする
電車が止まるという迷惑、普段意識的に感じることのない死という現象を感じてしまったというストレス。色々あるとは思うんだけど。
私は自殺なり他殺なりで人が死んだ話を聞くと、ああそこで一人の人生が終わってしまったんだなあと思って少しだけ怖くなる。
大都会ですれ違う人間にみんないままで幼少期から続いて人生を歩んできていて、家族がいて友人がいて職場があって、自分と同じように食べて考えて生きているのだと思うととても怖くなるときがあるんだけど、その中の誰かの人生がそこで終わってしまったんだなあ、っていう寂寥のようなものを感じる。
あと少しだけ、おいていかれたような、乗り遅れたような妙な気持ち。
まあ、だから何だということではあるんだけど。
ここ数週間メンタルの状態は最悪、減量のペースは絶好調。
水を飲んでも胃が痛むようにったので無気力な半餓死生活がはかどるはかどる