「オカマ」という治外法権

 

セクシャルマイノリティー、LGBTという言葉や、そこに属している人たちを見ることが最近特に多くなった気がしている。

非常によく見るのはやっぱりマツコデラックスだろうか。

若い世代でも、ショップ店員や読者モデルと言う形でそのようなLGBT、中性のような人が多い気がしている。

 

タイトルではオカマという言葉を使ったけれど、一概にオカマというには性的マイノリティの人の事情と言うのは複雑すぎることもあるので、不適切かもしれないけどまあそこは言いだすときりがないので割愛する。

 

特徴としては①その多くが男であり、②姦しく、③歯に衣着せぬ物言いをするなど、とても自由に見えることだろうと思う。

 

こう言っている私もマツコデラックスはとても好きで、普段TV見ないけどあの人の番組はしばしば見ていたりする。

疲れていたり、落ち込んでいたり、目が死んでるようなときにああいう活力と元気に溢れていて何も恐れているものなんかありませんとでもいうようなトークを見ていると少しだけ気分がましになるような気がするのだ。

あと個人的にはマツコデラックスの礼儀正しいところが好きだ。

 

最近本当に落ち込んでいるけれど、悩みを相談するならオカマがいい。

オカマの人は苦労をしてきたから人生経験豊富で、厳しい意見をズバズバ言ってくれる(でもそこには励ましや応援が潜んでいる)という幻想を持っている。

それはオカマの人がテレビに出て、女の人にブスや性悪と言ったり、男の人をつまらない男だのどうしようもない奴だと言ったりしても何となく許されている雰囲気や、世間の風潮に対して「オカマという一般的な枠から少し外れた立場から斬新な意見を述べる」もしくは「大勢が言えないことを代弁して真っ当な意見を臆面もなく言う」ことが何となく求められているところから見ると、ある程度一般的な認識なのではないかと思う。

 

男が女にブスと言っても、女が女にブスと言っても角が立つ。

コメンティエーターが同じ様な社会批判をしていても、何となくオカマの人が声を張って最後にちょっと自虐や笑いを混ぜて言っていたら反発心を抱かなかったりすることもある。

要するに、オカマというのは治外法権なのではないだろうか。

 

 

私もオカマに相談したい。

死にたいなんて誰にも言えないけど、オカマになら言えるし前向きになれるコメント貰える気がしてる。

最近は無駄に時間だけが過ぎていってどんどん人生が手遅れになっている気がして、死にたい気持ちに拍車がかかってる