占い師とはお金を払って励ましてくれる人のことである

 

あまりにこう色々と疲れてしまったので、ふと誰かに話を聞いてもらいたくなって「占いに行ってみよう」という気になった。

 

早速、目の前にある箱を使って調べてみる。

当たらないよりは当たる方がいいだろうと「占い 当たる」と検索ワードに打ち込んで検索した。

検索ワードのいちばん上に出てきたのが「ギャル占い師」で、すでにこの時点で心が折れかかる。今の自分のようなメンタル状況でギャルなんてテンションの高い人種に接触しようものならそれだけでなけなしの何かがゼロになってしまう気がする。

 

次に、検索ワードに地域をプラスしていくつか口コミなどを参考にしつつ、いくつかの占い師のサイトを見てみた。

実はお金を払って占いに行くのは初めてなのだけど、占いって思いのほかお値段が高いものなんだなあと初めて知った。30分5000円、何ていう所もザラにあるし、もっと高いところだと20分6000円とかエトセトラエトセトラ。

これなら一時間一万と少し払って風俗の女の子呼んで話を聞いてもらった方が良いような気もする。

 

でも別に言われたことを鵜呑みにしたいわけでも行動指針にしたいわけでもないから、もっとお手軽なものないかなあ他にないかなあと探していたら、商業ビルの中にある占いの館的な物があるのに気が付いた。

ああそうだそこにしよう。

そう決めて早速、翌日の出先のついでに立ち寄った。

 

昼の商業ビルは人もまばらだった。

目的の占いの館に着くと、入口に今日いる占い師の人の紹介の紙が貼ってある。

今日は4人ほどいるらしい。

名前の下に出来る占いがあって、人によって四柱推命、タロット、手相などなどそれぞれ書いてある。

 

だけど正直、書いてもらったところで詳しくないので誰が・どれがいいかよく分からない。

悩みの種類によってはこれが適している、という占い形態があるのだろうが門外漢の私にはまるで分からない。

名前も普通の名前の人もいればゴー☆ジャスみたいな名前の人もいて何を基準に判断したものか分からない。

そもそもどんな顔してこの中に入っていくべきか分からない。

 

入り口で挙動不審にきょろきょろと中をうかがう私に気が付いたのか、中から占い師さんが「さあここに座れよ」みたいな顔で自分の前の席を示してくる。

パーマをかけた少し派手目の年配女性だった。

この誘いに安易に乗っていいのか。本当に?

そんな不安もありながらも、しかしここで立ち尽くしていても何も始まらないのでおずおずと中に入って腰かける。そういう雰囲気にしてあるのだろうけど、部屋が薄暗いのでどうも入りにくいんだよ。こういう所に慣れていない人間には。

 

頭の中でこの人何の占いの人だろうかと思い出そうとするも、四柱推命とタロット、後それ以降が思い出せない。

席に座るなり、名前と生年月日を書くように言われて言われるがままに書き記す。

コースと時間をどうするか尋ねられ、よくわからないまま選択。

取りあえず一つのコンテンツ(恋愛、とか仕事、とか)について占ってもらうことに。

この時点で、漠然と将来どうなるかを占って欲しかった自分の目的と少しずれているのだけど、もうなんかそれはそれでいいかなあと言う気持ちで占いの結果を待つ。

 

私にはよく分からない荒れた字で色々と書き込んでゆく年配占い師。

そしてそこから私には理解できない何かを読み取って、いろいろと全体的にいいことばかり言ってくれる。

こちらが少々ネガティブな発言をしても、手相やら生年月日やらとを根拠にポジティブな言動を返してくる。

星がこうだから大丈夫だとか、あなたはこういう人間だから××になっても問題ないとか。

 

こちらは手相や何やについての知識がないものだから、そう言われると「そういうものなのかなあ」という以外ないし、だけど不思議なもので、10分程度のことだったけれどそう言われ続けると少しだけ気分も上向きになるものである。

 

「はあ…」とか「あ~…」みたいな、素直さの足りない占い甲斐のない反応しか返せなかったけど、年配の女性はひたすらにしゃべってくれる。

人に話を聞いてもらいたいと思っていたのに完全に聞く側に回っている。

具体的に自分の状況がどうとか、これで悩んでいるとかまるで話していない。

 

そうこうしているうちに占いの時間はすぎ、私は根拠のよく分からない沢山の「あなたなら大丈夫!」を貰って、少しだけ笑って占いの館を後にした。

 

 

人に話を聞いてもらいたいという当初の目的は不達成に終わったが、人に「大丈夫」とこんなに言ってもらうことが随分と久しぶりだったのでなんという、少し不思議な気分だった。

 

 

 

 

私は毎日、しにたいしにたいと思いながら生きている。

 

自分はダメな人間で、生きる価値などちりほどもなく、ただ資源と金を浪費するだけの生産性のない存在で、だけどこんな人間でも自殺したら親家族が泣くだろうし下手をすると向こうが鬱になったり自殺したりしかねないと思うから(逆に言えばこれ以外の未練がこの世にない)、死ぬこともできずにうろうろと生きている人間である。

 

だから、自分で自分に「大丈夫」なんて声をかけてやることはない。

昔はそう言うこともあったけれど、今はもうそんなこともない。

毎日自分を責めて、己の不甲斐なさを悔いて生きている。

 

 

そんな自分に、久しぶりにかけられた「大丈夫」だった。

「占い」という非科学的でふんわりとしたものを根拠にして、まるで私の人となりも現状も知らない人間からかけられた「大丈夫」だった。

 

 

きっとすぐに、また死にたいと思い始めるだろう。

自分に実力がないことは誰よりも自分が知っているから、きっと将来「大丈夫」にはならないだろう。

 

 

だけどそれでも、その人が、占いという自分なりの根拠を元に、私にかけてくれた「大丈夫」は少しだけ私の心に残った。

 

 

 

占いは良く分からない。

名前の画数や、適当に置いたタロットで何が分かるのだとも思ってしまう。

余程入れ込んでいる場合を除いて、世間の人だって占いの信ぴょう性についてはよくて半信半疑と言った所だろう。

 

だけど、そうやって占われて、ポジティブなことを言ってくれて、場合によっては気を付けるべきところを指摘してくれて。

そうやって誰かが「自分」のことを考えて、そしてアドバイスをして励ましてくれるその時間に、時に、少しだけ救われることもある。