驚くほど情緒不安定

 

今日から数日間、ちょっとした試験のような試練のようなものを受け続けることになる。

実力が伴わず、努力も十分でないくせにそれをしなければならないのが苦痛で仕方がなく、そんな状態なのでやるまえから結果なんてわかりきっているのにそれでも足掻こうとしてみたり、無理だ無理だとあきらめて無気力の極みで何もかも投げ出したりということをここ数日繰り返していた。

おかげさまでいつもの様に精神状況は不安定で、今日は一睡もできずに朝を迎えた。

 

今は明るくなっていく空を見ながら、「おいしいあさご飯が食べたいなあ」って思ってひとりで泣いている。それぐらい情緒不安定だ。

 

自分でも意味がわからないけど、朝を迎えてしまったことに、ついに裁きのようなものが下されてしまうような、現実を突きつけられることに絶望しながらどこかで救われたいと思って出てきたのが「おいしいあさごはん」だったのだろうと思う。

おそらくは、温かくておいしいご飯というものに幸せの一端を見ているのだ。

 

(余談だがこういう「死にたい病」になってから毎日朝を迎えるのがものすごく苦痛になって「ああまた今日も朝がきてしまった」思う様になり、鬱の人が何故朝辛いのかということを身をもって知った)

 

死刑囚だって、死ぬ前には最後の晩餐を食べられる機会があるんだ。

私にだって最後に美味しいものを食べることぐらい許されたっていいだろう。

 

とはいえ、最近ではずいぶん食が細くなってしまい(昨日はチョコバーと魚肉ソーセージぐらいしか口にしていない)、何が食べたいという意欲も衰えてしまっているのであまり具体的に「こういうあさごはんがたべたい」というイメージもなかなか湧いてこない。

なんとなく和食かなあという、ざっくりとした想像が出来る程度。

我ながら「おいしいあさごはん」って一体どういうものを思って出てきたんだろうなあ。

 

 

それにしても、死刑囚に最後に与えられる幸福というか、餞別と言うか、自由というか。

そういうものが「食事」であることを考えると、今のふっと湧いて出た思い付きと、それが妙にリンクしているようで不思議な気持ちになる。

やはり、幸せというものは最終的にはごはんの形をしているのかもしれない。

キューピーも「愛は食卓にある」って言うぐらいだし。